京都大学退職とアメリカ移住

私は2003年に工学部物理工学科に入学、2012年に博士後期課程を修了した後、2022年3月まで機械理工学専攻・光工学分野で助教を担当しました。2022年4月からはアメリカ合衆国のオークリッジ国立研究所に勤めています。

アメリカに移住してまだ3ヶ月目ですが、私生活は大きく変わりました。ここオークリッジは第二次世界大戦のころに作られた秘密都市なだけあって、なかなか郊外にあります。これまで日本では公共交通機関だけで暮らしてきましたが、こちらにはそんなものはありません。100%の車生活なので、移住後すぐに車を買う必要がありました。生活をおくる上で重要なのが食事です。アメリカでお手頃な価格で食べることのできる食事はなかなか口に合いません。知り合いの東アジア人も皆困っているようで「この店ではこの食材が手に入る」のような食に関する情報交換を通して仲良くなれたりします。

このような不便を経験するからか、日本出身であることをアイデンティティとして感じるようになってきました。今まで和風インテリアなど興味がなかったのに「オフィスに掛け軸を飾るのも悪くないな」などとふと考えてしまうようになったのです。このような帰属意識というものは、実質的に帰属しなくなってからより強められるのかも知れません。

京都大学で教員をしていた10年間、思い返してみると京都大学の教員であるということをあまり意識していませんでした。「そんなことよりもまずは業績」などと思っていた気がします。しかし京都大学を退職してから、徐々にそのことに特別感を持つようになってきました。退職日に購入した京都大学のロゴ入りマグカップやポロシャツを職場で少し誇らしく思いながら使っています。なるほどこれが同窓会を形作る原動力なのか、と初めて実感したのでした。

あとがき

本記事は、京都大学機械系同窓会(京機会)に寄稿したエッセイの転載です。